デタラメではない
この本は、東京裁判を描く本ならば、参考文献に登場します。
裁判とその後の世界諸国の動きを全て踏まえたうえで読むと、更に多くを学べると思います。
また、あくまで理性的に裁判を批判し、日本の正当性を主張しているので非常に参考になりました。
著者は裁判を復讐劇としていますが、この点については私は違うと思います。
事実、連合国内での意見の不一致が表面化し、一度ウェッブ裁判長は祖国へ送還されています。
裁判を通して連合国という枠組みの崩壊、米ソ対立と戦勝国の矛盾を露呈しました。
この点の描写が乏しかったのは残念ですが、当時の連合国がいかに無茶苦茶な事を言っていたのかも改めて知る事ができました。
あの裁判を総括する上で、大いに参考になるでしょう。
まずは、近代法学、日本の歴史観を読んでほしい。
清瀬一郎
同じ弁護士として、これくらいインパクトのある人はいない。
戦争裁判を含め刑事裁判で「弁護人」となることは、社会的には勇気の要ることである。ことにマスコミで取り上げられるような事件で、被害が甚大であれば。しかし、裁判という制度があるのは、人間は万能ではない、警察官?検察官という訴追者も時に誤ることを前提に行なわれる。でなければ、司法の役割など存在しないであろう。
しかし、この裁判には、もっと重要な問題があった。
B,C級戦犯はともかくも、A級戦犯に対する裁判は、法律を少しでも勉強した人間であれば、「おかしい」裁判であった。
刑事法の最大の原則である罪刑法定主義は、人を裁くに当たっては、事前に布告されていない法律で事後的に裁いてはならないという最低限の規律であり、これは、マグナ=カルタ以来の人類の知恵である。
例えば、私がこのように決して共産主義者をはじめとする進歩的文化人に批判的な書面を書いても安心していられるのは、後で彼らが「日本人民共和国」を設立しても、それまで禁止されていなかった「表現の自由」があるからだ。それが、ある日、「左翼思想に反するから処罰する」といわれたら、「自由な」思想信条、表現の自由はありえない。
東京裁判の最大の矛盾は、A級戦犯に対する事後法の適用であった。
弁護士として、記者クラブ発表を前提として「有罪前提」で来るマスコミに「無罪」を訴えるのは、本当にしんどいと思う。個人と国家の上下をつけるつもりはないが、「国家」の無罪を主張する重圧は大変であったろう。
この本は、晩年に書かれた。若い頃にもっと、しっかりと書いてほしかった。しかし、弁護士には「墓場まで持って行かなければならないこと」もあるんだよね。
東京裁判の超重要人物の著書だが、「史料」としての価値はゼロに近い
本書は著者が晩年に読売新聞に連載した回想を編集して、その最期の年(昭和42年)に公刊したもの。本文は約200頁で、連載回数が51回というから1回当たりは文庫版で4頁ほどとなる。 事実確認の為「多少は研究的態度もとった」との事だが、裁判から20年を経ての気楽な回想に過ぎぬ。 又、上の紹介のように著者は東京裁判を経て成立した戦後政治体制の中で、政治家として衆院議長という「頂点」まで登りつめた方だ。その一方で東京裁判を「勝者の復讐劇」と断じる心境の複雑さは「あとがき」から読み取れる。おまけに「公正中立な記述」をと、著者が弁護を担当した東条の判決シーンを、あえて別人の文章を丸々引用しているほど。 記述は順を追ったものでなく、また裁判の全貌を描く意図も、裁判についての自らの評価を体系的に論じる気持ちもない。著者自身が「読みたい場所を適宜拾い読みすれば良い」と言っているほど。公刊時に、時間に沿うよう一応の編集はされているが、そういうことで「迫真のドキュメント」という言葉は全く実態と乖離している。 中には面白いエピソードもあるが、それもBC級戦犯の話だったりと、「東京裁判」を知る為の書としては殆ど意味がない。あえて言えば、本書・本文の最後に書かれた「非戦化」の願いにはやや共鳴するものもないではないが、「政界」でのご活躍の結果だろうか、殆ど宗教書のような筆致で「数十世代を要するか」などと、「弁護士」としてのリアリティーを欠くように思う。「司法」「立法」のいずれも「社会秩序の根本」として「法の支配」を原則とするのだから、「東京裁判」を悪しき例としても、「国際法の整備」と「真実の探求と法の適用」の場としての「国際司法」の可能性を思慮するべきと思う。 本文の量の少なさを補う為に著者による長文の「弁護団冒頭陳述」が添えられている。が、広田、土肥原ら4被告がこれに不満で「不参加」とした事実さえ本書にはない。
あの戦争を総括すべき時代
東京裁判の日本人弁護団の副団長でもあり、東条英機元首相の主任弁護人であった著者、清瀬一郎氏が書き記した東京裁判の一級資料。 あの裁判が、勝者が敗者を復讐する為の単なる舞台であったことは、最早彼が立証するまでもないが、この本を読めばその思いをまた強くするだろう。 東条に誰も弁護人を名乗り出るものがなく、著者が請け負わざる得なかった事も、当時いかに敗戦の責任が開戦時に集中したかを思わせる。 あの戦争の責任は、今後の日本人のためにも総括し検証しなければならない。しかしその為には、何らあの裁判は有効なものではないと、それを教えてくれる本書である。
勝者の報復
「文明の名のもとに行われた空前の戦争裁判」がもしも勝者による報復的なものなら、連合国はなぜ裁判というまどろっこしいことをせずに日本から巨額の賠償を取らなかったのだろうか。最大の交戦国のアメリカは東京裁判の間、日本に食糧援助を行い、中国もまた賠償を放棄した。 「文明の名のもとに行われた空前の」戦後処理の一環として東京裁判を冷静に位置づけないと、いつまで経っても日本は先の戦争の呪縛から自由になって今後の安全保障政策を立てられないだろう。
中央公論新社
東京裁判 日本の弁明―「却下未提出弁護側資料」抜粋 (講談社学術文庫) 東京裁判の全貌 (河出文庫) パール判事の日本無罪論 (小学館文庫) 共同研究 パル判決書 (下) (講談社学術文庫 (624)) 東京裁判の正体
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